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100の物語[歴史] オホーツク文化と擦文文化

北の地に開いた2つの花、擦文とオホーツク文化
 約1300年前くらいから、従来の漁労・狩猟・採取に加え、農耕が重要度を増してきました。このころの全道各地の遺跡からは、鉄製の農機具とともに、植物を栽培していた痕跡がたくさん発見されています。
 人びとは、おもに河口付近に村を作り、サケ・マスなどを漁獲するかたわら、平坦な土地で農耕を行ったのでしょう。この時代の文化を、「擦文(さつもん)文化」と呼んでいます。このころの土器には、表面に刷毛などで擦り付けたような模様が施されているためです。

 また、これに先立つ続縄文時代のころ、北東アジア大陸の影響が色濃く現れた文化が、道北の沿岸地帯に生まれました。これが「オホーツク文化」です。オホーツク文化はやがて擦文文化に吸収されてゆきました。

骨を彫ってつくられたクマの像
■骨を彫ってつくられたクマの像
オホーツク文化に多いクマのモチーフ。トドの骨製。(写真提供:東京大学常呂実習施設)
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植物繊維を機にかけて織る/擦文文化
 擦文文化になると、土器は煮炊きに使用する深鉢形のものが中心となりました。そして、本州から土師器(はじき)や須恵器(すえき)なども流入してきました。住居は竪穴式とはいえ、中央に暖房用のいろりが配置され、東〜南の壁には、調理用のカマドが設けられようになりました。そして、擦文時代の終わりころになると、地上住居へと変わっていきます。
 衣服では、オヒョウダモやシナ、イラクサなどの繊維から糸を作り、それを機にかけて織るようになりました。これは、アイヌ文化独特のアットゥシにも見られるものです。擦文文化と後のアイヌ文化には、動物や道具などを神の世界へと送り返す「送り」の儀礼や、漁労道具などにも、類似している部分があります。
擦文時代の住居あと
■擦文時代の住居あと
紋別・オムサロ遺跡の、カマドがしつらえられた住居あと。(写真提供:インテリジェント・リンク)
文字の刻まれた土師器 紡すい車
■文字の刻まれた土師器
ろくろでつくられた素焼きの坏(つき)。うっすらと文字がある。(写真提供:北海道開拓記念館)
■紡すい車
糸をつむぐとき、中央の穴に棒を通して回し、弾み車として使った。(写真提供:浦幌町立博物館)
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本州文化を受容した古墳群/北海道式古墳
 北海道には、「北海道式古墳」とよばれる小さな円墳群があり、恵庭市や江別市の遺跡などで発見されています。恵庭市柏木東遺跡で発見された古墳を例に見てみると、高さ30〜80センチ、墓穴の深さ10〜50センチ、長さ1.5〜2.5メートル、幅50〜80センチと、いたって小規模です。副葬品には、土師器や須恵器のほか、蕨手刀(わらびてとう)、帯金具、そして「和同開珎」などの貨幣を伴う例もありました。
 これらの出土物は、東北地方北部の古墳と変わりありません。古墳に埋葬された人びとについては、奈良・平安初期に北海道に派遣または遠征してきた大和朝廷の官人や兵士、またはそのような人びとと親しかった地元のリーダーではないかともいわれています。
江別の北海道式古墳
■江別の北海道式古墳
後藤遺跡でみつかり、復元された3つの古墳。(写真提供:江別市郷土資料館)
大陸の影響を色濃く受ける/オホーツク文化
 オホーツク文化は、1500年前から1000年前にかけて、サハリン南部から北海道・南千島のオホーツク沿岸部に展開した文化です。オホーツク文化の人びとは海を生業の場とし、魚類や海獣類を捕獲して生活をしていました。住居は五角形・六角形をした大きな竪穴式で、室内にはクマの頭蓋骨を祭る骨塚が設けられていました。
 これは、オホーツク文化の人びとがクマを特別な観念で扱っていたことを示し、アイヌ文化との関連が考えられます。このほか、アイヌ文化の狩猟技術や建築方法も、オホーツク文化から取り入れたものではないかといわれています。
 土器のほかに、鏃(やじり)、銛先(もりさき)などといった石器や、蕨手刀(わらびてとう)、曲手刀子(まがりてとうす)などの鉄器、鈴、帯金具などの青銅器も使用していました。
オホーツク文化の住居跡
■オホーツク文化の住居跡
複数の家族が住んだ、五角形の大型住居跡。(写真提供:オホーツクミュージアムえさし)
クマの骨の祭壇
■クマの骨の祭壇
復元した、住居内にクマの頭蓋骨を積み上げた「骨塚」。神聖な場所だったとされる。(オホーツクミュージアムえさし蔵/写真提供:インテリジェント・リンク)
クマ頭部角器 ■クマ頭部角器
シカの角でできた角器は、権力者の持ち物と考えられている。(写真提供:東京大学常呂実習施設)
■蕨手刀、青銅製帯金具
蕨手刀は、奈良時代の本州からも多く出土する、南からもたらされた鉄製品。青銅製金具は、帯につける飾りで、北の大陸からもたらされた。(写真提供:オホーツクミュージアムえさし)
青銅製帯金具
蕨手刀
■オホーツク式土器
棒で突いたり、爪でつけたような模様などあるが、特徴的なのは、ソーメン状の粘土の紐を貼りつけた「ソーメン文」の土器。(写真提供:オホーツクミュージアムえさし)
オホーツク式土器 オホーツク人の墓
■オホーツク人の墓
モヨロ貝塚などでは、土器を死者の顔の上に逆さにおいて葬っていた。(写真提供:東京大学常呂実習施設)
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