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100の物語[歴史] 農業の指導者

北海道ならではの農業を根づかせた人たち
北海道大学 開拓前の北海道は、本州とはまったく土地の様子が違っていました。原野や森林が人の行く手を拒み、原始のままの河川が思うままに流れています。また、気候は冷涼で、米づくりには適していません。本州のように鍬や鋤で小規模な田を耕すような形は、もともと成り立ちようがなかったのです。

 そこで開拓使が考えたのは、アメリカから迎えた専門家の指導を受けながら、欧米農法を導入することでした。大型農具を取り入れて一気に広大な土地を開拓し、家畜と組み合わせて輪作を行う畑作経営を行おうというのです。これはアメリカ型の農業経営そのものでした。お雇い外国人の意見を取り入れながら、しだいに洋風の作物が北海道の大地に根づいていきました。また、牛や馬などが飼われ、畜産も少しずつ発展しました。
 しかし、一方で、日本人として米づくりに執着する人もいます。かれらの必死の努力により、やがて北海道の気候でも育つ品種が生まれました。こうして、現在の北海道農業の三つのタイプである、畑作、酪農、水田の基礎ができていったのです。

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お雇い外国人たちの活躍/ケプロンとブルックス
 ケプロンほか3人のお雇い外国人が、開拓に必要な機械や種子をたずさえて横浜に上陸したのは、1871(明治4)年6月。さっそく東京、札幌や七重(現:七飯)など各地に官園を造り、北海道の風土に合う作物の研究を始めました。

 ブルックスなど札幌農学校の教師も協力して、のちに北海道の特産物となる多くの作物や品種が、ここから生み出されます。わたしたちがいま食べている畑作物や野菜の多くが、この時代にルーツがあるものといえるでしょう。

 大型農具は高価だったため、一般の農家にはなかなか普及しませんでしたが、明治30年代には馬でひくプラウ耕が各地に拡がりました。アメリカ型の農業そのものにはならなかったとはいえ、いままでにない北海道ならではの農業が姿を現してきたのです。

 
ホーレス・ケプロン ウィリアム・ペン・ブルックス
■ホーレス・ケプロン
(写真提供:札幌市教育委員会 文化資料室)
■ウィリアム・ペン・ブルックス(*1)
開拓使の東京官園
■開拓使の東京官園(*2)
農業試験場である官園で、土を耕す西洋農機具・プラウを試している様子
 
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真駒内牧場が酪農のメッカとなる/ダン
 1873(明治6)年、エドウィン・ダン青年が、牛とめん羊をそれぞれ100頭ずつ船に積んで、日本へやってきました。北海道に酪農を根づかせるため、ケプロンに招かれたのです。
 ダンは真駒内に牧場を開き、優良な乳牛を仕入れて、飼育管理や品種改良を指導しました。また、西洋式農機具の使い方を教え、バター、チーズ、ハム、ソーセージなどの製造も行いました。この真駒内の牧場は、今日の酪農を築いた多くのリーダーを育て、北海道酪農のメッカと呼ばれています。
 ダンの影響を受けて、やがて民間からも優秀な酪農家が出てきました。札幌ではじめて牛乳を販売した宇都宮仙太郎、優秀な牛を作ることに情熱を燃やした町村敬貴、バターやチーズの製造に取り組んだ出納陽一、デンマーク型の農業をめざした黒沢酉蔵(くろさわ・とりぞう)などです。

エドウィン・ダン
■エドウィン・ダン(*3)

旧真駒内種畜場事務所(エドウィン・ダン記念館) ■旧真駒内種畜場事務所(エドウィン・ダン記念館)
建物は旧真駒内種畜場事務所の一部で、現在ダンの業績を展示する資料館となっている。

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北の米づくりにかけた夢/中山久蔵
 アメリカ型の農業をめざした開拓使は、開拓者たちが米づくりをすることを禁止しました。ところが、1873(明治6)年に中山久蔵が、島松川のほとりに10アールの水田を開いて、6俵弱(約345キロ)の米を初めて収穫することに成功します。
 久蔵は、水田に島松川の水を引きましたが、その水が冷たいため、風呂で何回も湯を沸かし、それから苗代へ入れたといいます。北海道でも米が作れることを確信した久蔵は、安定した収穫が得られるように、品種や栽培法の研究を続けました。そして1877(明治10)年、久蔵は東京で開かれた第1回内国勧業博覧会に自ら作った米を出品し、北海道でも米が作れることを天下に示したのです。
 それからは、収穫した種籾100俵を開拓者に無償で配り、農村を訪ね歩いて稲作の指導に当たりました。久蔵とそれにつづいた人たちの成果を見て、道庁も後に稲作奨励に方針を転換することになります。
中山久蔵
■中山久蔵

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「赤毛種」水稲 「寒地稲作この地に始まる」の碑
■「赤毛種」水稲
道南の大野村(現・北斗市)から寒さに強い「赤毛種」を取り寄せ、改良を重ねた。
■「寒地稲作この地に始まる」の碑
中山が取扱人を務めた、旧島松駅逓所の敷地内に建てられ、その功績を讃えられている。

(写真提供:北広島市)
*写真提供:北海道大学付属図書館[北方資料データベース]
 写真キャプション文責:北海道庁
*1 W.P.ブルックス 請求記号:S(a) 15 特大 北方資料データベースレコードID: 0B036260000000
*2 第3号園内再墾プラオ使用之図 請求記号:P(a) 133 北方資料データベースレコードID:0B025680000000
*3 エドウィン・ダン(洋服,蝶ネクタイ) 請求記号:大島 15(4) 北方資料データベースレコードID:0B036070000000
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