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100の物語[歴史] 稲作

品種改良と技術革新に支えられた、寒冷地の米づくり
 明治以前、北海道のおもな産業はニシンやサケなどを中心とした漁業でした。その構造は明治に入ってもしばらく続きますが、各地で開拓が進むにつれ、しだいに農業が盛んになってきます。 稲作イメージ
 当初、開拓使がとった方針は、ケプロンの指導による畑作、畜産を中心とした大規模な米国式の農業で、北海道には稲作は向かないとして禁止していました(ただし、明治以前から道南には津軽や南部地方の種モミが持ち込まれ、大野を中心に開田事業が行われていた)。
 そんななか、人びとの間では「米が食べたい」という願いが強く、さまざまな苦労を乗り越えて寒冷地での米づくりを成功させます。今では、全国で1,2を争う収穫量(2013(平成25)年で全国の約7%)をほこっています(農林水産省統計より)。

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寒地稲作の礎を築いた「赤毛(あかげ)」
 1873(明治6)年、島松(現・北広島市)に入植した中山久蔵(なかやま・きゅうぞう)は、幕末から道南で栽培されていた地米「赤毛」と「白髭」を持ち帰り、当時は不可能とされていた道央地方で初めての米づくりに挑戦します。
 試作の末、赤毛から寒冷地向きの品種を選び出し、これを「石狩赤毛」と名づけました。中山は毎年種モミを増やし、各地の農家に分布。その成果が実を結び、明治40年代には全道の水田の約8割を赤毛が占め、寒い土地での稲作の基礎ができあがります。その後、赤毛からさらに「坊主」や「黒毛」などの耐寒品種が生まれ、道東や道北でも稲作が可能になりました。
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赤毛種の稲 ななつぼしの稲
■赤毛種と現代品種の稲
「赤毛種」の稲(左)と、現代の品種「ななつぼし」の稲。 (写真提供:北広島市)
「タコ足」で効率アップ
 本州での稲作は、苗代で育てた苗を移植する方法が行われますが、気温の低い北海道では、同じ栽培方法ではうまく稲穂が実りません。そのため、道央以北では直播(ちょくはん)による稲作が行われました。
 直播とは、種モミを直接水田にまく方法で、春先に集中する田植えなどの労力を節約できるうえ、田植え後に苗の定着期間が不要なので、生育期間を短縮できる寒地向きの方法です。しかし、水田に手で一定間隔にまくのは難しく、当初はあまり普及しませんでした。
 やがて上川や空知に水田ができはじめると、地元の農家によって画期的な「直播器」が発明されます。1905(明治38)年、東旭川村の末武保治郎が考案した黒田式直播器、通称「タコ足」です。タコ足は、8本×2列の管がついていて、高率よく種モミをまくことができる用具で、おもに上川、天塩、十勝、後志、日高、胆振地方で使われました。
タコ足での種まき
■タコ足での種まき
(写真提供:北海道農業研究センター)
黒田式直播器(通称「タコ足」) ■黒田式直播器(通称「タコ足」)
黒田式という名前は、ブリキ職人の黒田梅太郎が製作したため。 (写真提供:北海道開拓記念館)
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冷害とのたたかい
 北国の農業は、つねに気象条件の厳しさに悩まされます。北海道の稲作も例外ではありません。とくに1931(昭和6)年から続いた冷害はそれまでにない被害をもたらし、せっかく開いた水田を放棄する農家も現れました。
 その危機的状況を救ったのが、上川農業試験場が育成した病気に強い新品種「富国」と、上川の農家が開発した「保護苗代(温冷床育苗)」です。富国はそれまでの品種よりも約2割も収穫を上げ、あっという間に全道の半分以上の水田でつくられるようになりました。また、保護苗代は障子などで苗を保温する方法で、冷害にも強く、北海道の稲作は直播から保護苗代へ転換してゆきました。
■温冷床育苗
障子による保温を基本としていた育苗法。 (写真提供:北海道農業研究センター)
温冷床育苗
泥炭地が一面の水田へ
 今は広大な水田が広がる石狩平野ですが、かつては、はげしいぬかるみの泥炭地でした。ここは戦後の食糧増産政策のもと、大規模な開発・造田がすすめられた地域です。大量の山土を運び込んで客土(きゃくど。他の場所から土を入れること)が行われ、ダムが造られ、かんがい水路が整備されました。
 また、そこに開拓に入った人びとの苦労も並大抵ではありませんでした。開発計画の客土だけでは足りず、人びとは冬も毎日馬そりで土を運び入れました。そうした血のにじむような努力の結果、泥炭地は肥沃な水田に変わりました。
 その後、北海道の水田は順調に作付面積をふやし、1969(昭和44)年ごろには全国一の米どころに成長しました。しかし、1970年から始まった生産調整により作付面積は6割以下に減少しました。
篠津地域(石狩川流域)の泥炭
■篠津地域(石狩川流域)の泥炭
(写真提供:北海道開発協会『篠津地域泥炭地開発事業誌』より)
人気の北海道米
 いまや北海道米の定番となった「きらら397」が生まれたのは、1980(昭和55)年のこと。それまで「食味が劣る」といわれてきた北海道の米を、なんとか打破しようと上川農業試験場が育成しました。炊き上がりの白さと粘りのある味わいが全国に広く認められ、北海道米のイメージを大きく向上させました。

 その後、土地改良や技術・品種の開発などを幾度も重ねて2009(平成21)年に登場した「ゆめぴりか」は、府県産のお米に勝るとも劣らない極良食味品種で、北海道米のエースとして評価は年々高まっています。冷涼な気候を生かし、農薬の使用量を抑えた安心でおいしい北海道のブランド米として販売されています。
 また北海道で初めて、日本酒の原料となる酒米、「初雫(はつしずく)」と、それに続く「吟風(ぎんぷう)」や「彗星(すいせい)」が育成され、道内の酒蔵がそれらを使って地酒をつくるほか、道外への出荷もはじまっています。
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