北海道デジタル図鑑
データベース検索 情報の小径 50音インデックス サイトマップ ヘルプ ホーム

自然歴史伝統・文化観光・スポーツ
本サイトのご利用にあたって
100の物語[観光・スポーツ] 野球

フィールド・オブ・北海道
 北海道の野球のルーツは、開拓使仮学校まで遡ります。開拓使仮学校は1872(明治5)年5月に東京・芝の増上寺境内に開校。当時、英語教師に雇われていたアルバート・ベーツが、自分が持ってきた1本のバットと3個のボールで、生徒達に野球を教えたと伝えられています。開拓使仮学校は1875(明治8)年7月に札幌農学校(現・北海道大学)となり、札幌へ移転してきました。それに伴って野球もやってきたのが、北海道の野球の始まりといえそうです。
 それからおよそ130年後のいま、北海道はプロ野球球団を持つまでになりました。
関連するデータベース
札幌ドームでのゲーム

■札幌ドームでのゲーム
ファイターズのホーム、札幌ドームは4万人以上の観客が。プロ野球がとても身近になった。
(写真提供:2004年(C)北海道日本ハムファイターズ)
旭川の怪童、ビクトル・スタルヒン
 スタルヒンは1916(大正5)年ロシアに生まれ、3歳のとき一家がロシア革命を逃れて日本に亡命、旭川に移住したのが1929(昭和4)年のことでした。旭川中学に在学中から、彼の剛速球は東京まで噂になり、1935(昭和9)年に日米野球のため結成された「大日本倶楽部」に、中学を中退して入団します。その後、1936(昭和11)年に日本初のプロ野球チーム・大日本野球倶楽部(のちの巨人軍)に入団しました。
 戦前の巨人のエースとして活躍しましたが、戦争が本格化してくると、一時「須田博」と改名させられた時期もあります。1955(昭和30)年に、日本プロ野球史上初の300勝を達成、その年引退。2年後、40歳の若さで交通事故により急逝しました。国籍を持たないままでしたが、いまなお大投手として多くのファンに語り継がれています。
スタルヒンの銅像
スタルヒンの銅像 ■スタルヒンの銅像
身長190センチ以上だったスタルヒンの等身大につくられた像。台座には「スタルヒンよ永遠に」の文字が刻まれている。
スタルヒンの銅像
旭川スタルヒン球場
■旭川スタルヒン球場
「花咲スポーツ公園内」にあるスタルヒン球場。1986年に建てられ、プロ野球の公式戦をはじめ高校野球予選ほかさまざまな試合が行われる。

(写真提供:財団法人旭川市公園緑地協会)

関連するデータベース
「函館オーシャン倶楽部」と久慈次郎(くじ・じろう)
 1907(明治40)年、北海道師範学校の卒業生らによって結成された「函館オーシャン倶楽部」は、戦前までの北海道野球界をリードした名門チームです。
 とくに大正末に、日本一の名捕手といわれた久慈次郎が加わって黄金期を迎えました。ベーブ・ルースらが来日した1931(昭和6)年の日米野球に参加、沢村栄治(さわむら・えいじ)と組んだバッテリーは戦前最強のバッテリーといえるでしょう。
 久慈は文字通り、グランドに生涯をささげた選手でもあります。1939(昭和14)年、札幌円山球場での試合中、四球で歩こうとしたときに、捕手が投げた球がこめかみに当たり、そのまま帰らぬ人となったのです。その20年後の1959(昭和34)年、久慈は第一回「野球殿堂入り」表彰を受けました。その名捕手ぶりは、それほど強く野球関係者の脳裏に焼きついていたのでしょう。
 また、函館オーシャン倶楽部には、函館出身のコメディアン・益田喜頓(ますだ・きーとん)も、二塁手として活躍していた時期があったそうです。
函館オーシャン倶楽部
■函館オーシャン倶楽部
社会人チームとしては、日本初だった。1922(大正11)年、大阪毎日新聞社との試合で、盗塁する久慈選手。
久慈次郎
■久慈次郎
オーシャンの、そして全日本の名捕手として、厚い信頼を得ていた。

(写真提供:高石健三さん)
北海道に、待望のプロ野球球団誕生!
 2004(平成16)年は、北海道にとってのプロ野球元年でした。道民待望のプロ野球球団「北海道日本ハムファイターズ」が誕生し、最初のシーズンとなったのがこの年です。
 メジャーリーグから復帰の新庄剛志(しんじょう・つよし)選手の入団で話題を集め、チームもシーズン3位と健闘。その後、2005(平成17)年から入団したダルビッシュ投手の活躍などにより、2006(平成18)年には日本一に輝き、また2007(平成19)年、2009(平成20)年にはリーグ優勝を果たすなど、めざましい活躍を繰り広げています。
札幌ドームを埋める観客たち
■札幌ドームを埋める観客たち
札幌ドームでの熱烈な応援に、チームはプレーで応える。(写真提供:2004年(C)北海道日本ハムファイターズ)
駒大苫小牧高、夏の甲子園大会で全国制覇
 そのほか、2004(平成16)年で忘れられないのは、夏の全国高校野球選手権大会における駒沢大学附属苫小牧高等学校の全国優勝です。
 過去北海道勢ではベスト8が最高だった夏の大会で、いきなり優勝を果たし、深紅の大優勝旗を白河の関はおろか、一気に津軽海峡を越えて持ち帰ったのです。決勝戦の札幌地区最高視聴率は、NHKで45%を超えました。道民の熱狂ぶりがこの数字からもうかがえます。
 また、翌年には、大会史上6校目となる夏の甲子園2連覇を果たし、続く2006(平成18)年の早稲田実業との決勝戦では、エース・田中将大(たなか・まさひろ)投手と現在日本ハムファイターズで活躍する斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)投手との投手戦を繰り広げ、おしくも準優勝となりましたが、多くの道民に熱い感動を与えました。

歓喜する駒苫ナイン
■歓喜する駒苫ナイン
チーム全員の気持ちを合わせて戦い、優勝という快挙を成し遂げた。

真紅の優勝旗
■真紅の優勝旗
初めて津軽海峡を越え、北海道にもたらされた。
(写真提供:駒沢大学附属苫小牧高等学校)
関連リンク
画像および文章の無断使用・複製・再配布を禁じます。


参考文献一覧画像提供元一覧情報の小径50音INDEXページのトップへホーム